大東文化大学 陸上部

HOME

50th

創部50周年に寄せて

陸上競技部特別顧問
靑葉 昌幸

   2016年4月、大東文化大学陸上競技部は半世紀を迎えたわけですが、「光陰矢の如し」という心境です。
   1966年(昭和41年)、4名の学生を中心に同好会からスタート。初代監督に石塚繁美先生を迎え、1967年(昭和42年)11月、箱根駅伝予選会(千葉・検見川コース)に出場し、第4位で本戦初出場を決めました。1968年(昭和43年)1月、第44回箱根駅伝での結果は最下位の15位でしたが、「オール1年生」で挑んだことを考えたら立派だったと思います。そして創部50年、心からお喜び申し上げるとともに、幾多の紆余曲折を乗り越えての50周年。多くの関係者の方々に敬意を表し、厚く御礼申し上げます。
   顧みますと、私は 1968年4月、監督に就任。ところが、その2ヵ月後の6月15日(早朝)、小田原市内でマイクロバスとトラックが激突。マイクロバスに乗っていた多くの部員が負傷。その中でも二宮君(2年)の内臓裂傷はものすごく心配でした。今考えると新米監督・靑葉は大ピンチでしたが、大学体育会の先生方の助力をいただき、部員も回復することができ、ほっとする思いでした。しかし、もっと 大きなプレッシャーは、前年度、オール 1年生で箱根駅伝に出場したチームを預かったことであり、非常につらく、厳しいものでした。そんな重苦しい時期も、夏合宿が過ぎ、11 月の箱根駅伝予選会(検見川コース)を専修大学に次いで第2 位で通過。明けて 1969年(昭和44年)11月、第45回箱根駅伝では、1区尾堂の区間トップで絶好のスタートを切り、その勢いを持続して往路6位、復路10位、総合7位で大東文化大学出場2年目でシード権も確保し、胸をなでおろす思いでした。今思えば、この1年間は、私にとって73歳の人生の中で、一番プレッシャーがかかった時期でした。その反面、さまざまな喜怒哀楽のある日々を情熱一辺倒に明け暮れたその頃が最も幸せな時期だったかもしれません。

箱根駅伝初シード権獲得メンバー [7]11時間59分07秒
1区尾堂(2) [1]① 2区前田(2)[5]⑪ 3区若宮 (1) [6]⑦ 4区小田(1) [5]⑨ 5区高橋(1)[6]⑨ 6区中原(2) [8]⑫ 7区畑中(1) [9]⑩ 8区佐々木(1) [9]⑨ 9 区寺島(2) [8]⑧ 10区士持(2)[7]⑤
( )は学年 [ ]は通過順位 ○数字は区間順位

   その後、初優勝まで試行錯誤失敗を重ねた後に、大東旋風を起こしながらいよいよ1975年(昭和50年) 第51回箱根駅伝を念願の初優勝で飾った我が大東文化大学は出場8年目、監督靑葉の就任7年目での優勝でした。

箱根駅伝初優勝メンバー [1]11時間26分10 秒 1区橋口(2)[2]② 2区秋枝(3) [3]② 3 区松本 (3) [2]⑤ 4区鞭馬(4) [1]① 5区大久保 (2)[1]① 6区金田(3)[1]① 7区下村(4)[1]① 8区阿部 (1)[1]③ 9区菊池(3) [1]⑥ 10区竹内(4) [1]①
( )は学年 [ ]は通過順位 ○数字は区間順位

   レース経過は、1区橋口はトップとの差1分12秒で2区秋枝へ。東農大のエース ・服部に抜かれ、1分30秒差で 3区松本へ。2位は守ったが、東農大との差は3分45秒。4区鞭馬は驚異的な区間新記録を出して一気に逆転し、5区の2年生 ・大久保へ。大久保は箱根の山(天下の険)を前年度より快走し、見事な区間新記録で、2位東農大に4分57秒差でゴールイン。往路5時間44分 36 秒(大会新)の記録でした。
   復路は6区金田(全チーム一斉スタート)が号砲とともに飛ばし、区間1位の快走で7区へ。7区下村も区間1位。 8区の1年生・阿部も堅実に走ってトップを守り、9区菊池は追ってきた日体大に抜かれたが、アンカーのキャプテン・竹内が日体大をあっさりと退け、楽勝のうちに復路も 5時間41分34秒の好タイムで制し、総合11時間26分10秒の大会新記録で念願の初優勝を勝ち取ったのでした。
   そこで、箱根駅伝の成績か ら見た大東文化大学の今昔は以下の通りです。

<大会回数/西暦(年度)/箱根駅伝成績> 44回 1968年 (S43) ⑮ 45 回 1969年 (S44) ⑦ 46回 1970年 (S45) ⑤ 47 回 1971年 (S46) ⑦
48回 1972年 (S47) ③ 49回 1973年 (S48) ② 50回 1974年 (S49) ② 51回 1975年 (SSO) ①
52回 1976年 (S51) ① 53回 1977年 (S52) ③

<大会回数/西暦(年度)/箱根駅伝成績>
83回 2007年 (H19) ⑭ 84回 2008年 (H20) 棄 85回 2009年 (H21) ④ 86回 2010年 (H22) ⑱
87回 2011年 (H23) × 88回 2012年 (H24) × 89回 2013年 (H25) ⑫ 90回 2014年 (H26) ⑩
91回 2015年 (H27) ⑩ 92回 2016年 (H28 ) ⑱
棄= 9区で途中棄権、×= 出場できず、丸囲み数字は総合順位

   さて、明日からの大東文化大学陸上競技部を考える時、私はいろいろな立場で陸上競技部に関わり、これまでの人生を歩み続けてきましたが、今のチームに一番不足しているのは復活に対する 危機感、新しいものを創り出すという強い意志ではないでしょうか。「俺が新しい陸上競技部を 創る」という強烈な熱意がまったく感じられません。50周年記念誌を発行するのにあたり、全国のOBの皆さんに是非、この機会に陸上競技部の今後の姿を想像し、何か協力できることはないかを考えていただきたいと思います。必ず何かあるはずです。今、OBの結集力が必要です。宜しく頼みます。
   思いのままを文章にしましたが、 この私の思いが大東文化大学陸上競技部復活の一助になればと心から願います。
   なお、監督を32年間、部長を8年間歴任した中で、大学三大駅伝と言われる東京箱根間往復大学駅伝競走(優勝 4回)、全日本大学駅伝対校選手権大会(優勝7回)、出雲全日本大学選抜駅伝競走(優勝1回) でいずれも優勝を飾ることができました。また、1983 年(昭和58年)7月の第12 回ユニバーシアード ・エドモントン大会には米重修一 (10000 m優勝、5000 m第3位) と池田重政(マラソン12位)、1991年(平成3年) 7月の第16 回ユニバーシアード・シェフィールド大会には実井謙二郎(マラソン第2位)が出場しましたが、上記2大会は私も役員(コーチ)として参加しました。1997年(平成9年)8月の第19 回ユニバーシアード・シシリー大会には池谷真輝(ハーフマラソン第4位)、2003 年(平成15年)8月の第22回ユニ バーシアー ド ・ テグ大会には村田義広(ハーフマラソン第4位)が出場し、世界の舞台で活躍しました。共に過ごした400有余名の部員たちとの日々は、私の生涯の財産です。
   最後に、短期間でご苦労いただきました記念誌編集員の方々に心から感謝申し上げ、50周年に寄せる言葉といたします。

現場の意識と科学的知識との融合が強いチームを作る

陸上競技部 部長
琉子 友男

   創部50周年にあたり、1966年の創部以来、長年にわたって部の存続に関わってこられた靑葉特別顧問や桐門陸友会、そしてOBの皆様に敬意を表するとともに、心よりお喜びを申し上げます。歴史ある陸上競技部の部長を拝命して、早いもので8年目を迎えようとしていますが、 このような行事に接するたび、部を預かる重責に身の引き締まる思いがします。現在でも多くの卒業生が日本の陸上界を支える指導者になっていることについても敬意を表さざるを得ません。できれば、今後の優秀選手の発掘、トレーニング開発、精神的強化など多くの面でコラボレーションができれば良いのではないかと考えています。
   ここでは、強いチームを作るには経験だけでなく、科学的視点も重要であるという観点から、私がこれまで行ってきた研究についてお話しします。
魚類ほどは極端ではありませんが、人の筋肉も赤身の筋肉(持久性に優れている)と白身の筋肉(速い動きに優れている)で構成されています。どのタイプの筋肉を多く持っているかは親の遺伝子によって大きく左右されますが、小さい頃から長距離走の得意な子どもは、赤身の筋肉を多く持っていることがわかっています。日本人は、どちらかというと白身に偏っていますので赤身の多い人は少数派です。長距離選手だった人は赤身が、短距離選手だった人は白身が多く、5000mのオリンピック選手は60%ぐらいが赤身でした。
   長時間、走るためのエネルギー源は糖分と脂肪分ですが、糖分の中のグリコーゲンは肝臓に500kcal、筋肉に150kcal しか蓄えられていません。マラソンを完走するには、1000kcalほど足り ないことになりますが、グリコーゲン・ローディングや日頃のトレーニングによって蓄積量は増加します。しかし、蓄積量が増加するとからだが重くなりますので、準備運動で余分な水を出して体重を少しでも軽く しておく ことが好成績を出すには重要です。筋収縮の直接のエネルギー源はアデノシン三リン酸(ATP)という物質ですが、これはグリコーゲンを燃やすことによって作られます。微熱などがあるとからだがだるく感じますが、これはATPが使われにくくなるためです。起床時の体温を測ることは、選手のスクリーニングや競技能力向上の観点から重要です。グリコーゲンが燃やされると必ず副産物として乳酸が産生されるので 、除去対策が必要です。産出さ れた乳酸の一部は、心筋や赤い筋肉で分解されATPを作る原料になりますが、白い筋肉の乳酸の産出量の方が分解量を超えますと 乳酸が蓄積され、水素イオンの濃度が裔まり筋細胞中のpHが中性から酸性に傾きます。その結果、ATP 合成に必要なクレアチンリン酸の分解が進み ATP合成そのものが抑制され筋肉が動きづらくなります。また、水素イオンは重炭酸イオンと反応し、過剰な二酸化炭素を産生し呼吸筋を疲労させ息苦しくさせます。睡眠不足や微熱などの体調によって乳酸耐性は変わるので、試合に勝つためにはコンディショニングチェックと体調管理が重要です。
   最近、只隈副部長と私は、選手のコンディショニングの状態を酸化ストレスという切り口で観察する方法、 もう一つはエネルギー効率の高い走り方に関する論文を発表しました。このような科学的な知識をスタッフや選手に教授し、知識をもとに選手自身が新しいトレーニングに挑み、効果が上がったトレーニング法に関しては選手からスタッフに提案するような意識の高い選手を輩出することが強いチームを作るための必要条件ではないかと考えます。 最後に、50周年記念にあたり、以下の改革を実行することを約束して部長の挨拶に代えます。

  • ①一部の選手が持つ精神的な甘えを排除し、箱根駅伝に出場するためだけのチームではなく、優勝するチーム作りを行う。具体的には、弱い選手を強い選手の能力に近づけるのではなく、強い選手には別メニューを与えて激しいトレーニング負荷をかけ強くする一方、弱い選手が努力によって強い選手グループに入れるようなシステム作りをする。
  • ②従来のクロスカントリートレーニングに加え、「山の大東」を復活させるため、積極的にヒルトレーニングなどを練習の中に取り入れる。また、短距離部門との基礎的なトレーニングを合同で行う日を設定し、効率的なランニング動作スキルの向上を図る。さらに、筋肥大を伴わない筋カト レーニングを行うことで神経系の改善を行い身体の強化を図る。
  • ③選手の健康管理のためにストレス測定等を実施し、酸化ストレス、貧血や疲労度、健康状態などを医科学的に調査する。また、その結果、必要な選手には、総合ビタミン剤、鉄・亜鉛、リスベラ トロールなどのサプリメントを投与し、健康な体作りを目指す。

   この記念誌を読まれているすべての皆様のご理解とご支援なくして陸上競技部の繁栄 存続はあり得ません。今後とも、倍旧のご指導、ご鞭撻を賜り ますようお願い申し上げます。

過去と未来の中継点

陸上競技部 副部長
只隈 伸成

   2016年、大東文化大学陸上競技部は、1966年の発足以来50年という大きな節目の年を迎えました。同好会発足時の“熱き思い”に始まり、並々ならぬ努力の連続によって今日の礎(いしずえ)を築いて頂いた諸先輩、その志と伝統を引き継ぎ守り続ける現役学生、50年もの長きにわたり陸上競技部発展のためにご尽力いただいた大東文化学園ならびに大東文化大学関係者の皆様、さらに陸上競技部に対して温かいご支援・ご指導を頂いております多くの皆様に深く感謝と御礼を申し上げますと共に、心からこの喜びを分かち合いたいと思います。
   陸上競技部のこの半世紀は、各年代で多くの学生が靑葉昌幸元監督に代表される各指導者のもと、一体となって絶えず新たな夢と目標に取り組んできた“挑戦”の日々だったのではないでしょうか。その中で、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)4回優勝をはじめ多くの栄冠を勝ち取り、米重修一氏、実井謙二郎氏のオリンピック出場など数多くの日本を代表する選手を輩出して参りました。数多くの栄光の一方では、危機や苦難に直面し、その度に強いリーダーシップと全員のチャレンジスピリットで決して屈することなく、一致団結して難局を乗り越えて来たことと思います。
   平成17年には短距離・フィールドブロック、平成22年には女子長距離ブロックが新たに創設され、現在では約130名の部員を有する大きな組織となりました。外園女子長距離監督、原田、佐藤両短距離コーチの下で輝かしい成績を収め、数多くの日本代表選手も輩出しております。靑葉特別顧問が常々「陸上部、駅伝部ではなく、陸上競技部である」というお話しをされていましたが、名実ともに「陸上競技部」としての形が整いつつあります。
   一方、陸上競技部の本丸とも言える男子長距離に目を向けてみますと、第92回箱根駅伝では総合 18位と3年連続のシード権獲得はならず、50周年は予選会からの出発となります。4回優勝という輝かしい実績からすると、皆様から多くの叱咤を頂戴すると拝察いたしますが、奈良監督、馬場コ ーチの下で必ずや復活の狼煙を上げると確信しております。半世紀を迎えた今、皆様と共にこの歴史を厳しい目で総括することによって、その輝きをより一層大きくさせていくことを願っております。 50周年を過去と未来の中継点として位置付けると共に、100周年に向けての欅渡しとしてとらえ、未来に向けての決意を新たに、陸上競技部にしかできない価値の創造を目指し追求するーーそれは、まさに陸上競技部の理念である「努力によって不可能と思われることを可能にする ことの実践であり、100周年に向けての中継点に立った今の陸上競技部には必要だと考えております。陸上競技部一丸となって新たな目標を掲げ、立ち向かっていくにあたり、私自身も微力ではありますが、全力で支えていく所存であると同時に、これからの責任の重さを痛感しております。
   最後になりますが、改めて関係の皆様に対し御礼申し上げますと共に、今後とも大東文化大学陸上競技部に相変わらぬご指導・ご支援を宜しくお願いいたします。

創部50周年を迎えて

陸上競技部 男子長距離監督
奈良 修

   大東文化大学陸上競技部の創部50周年を迎え、OBとして、現監督として、靑葉先生をはじめとする関係者の皆様方に心よりお礼申し上げます。
   私も27年前に本学に入学し、陸上競技部に入部したことが、つい最近のことのように思い起こされます。
   4年間の大学生活を振り返りますと、まず親元を離れて初めての寮生活の中で、挨拶の仕方、言葉使い、食事当番、電話番、掃除などの競技以外の基本的な部分での戸惑いと葛藤がありました。それまでは自宅にいて当り前のように親にやってもらっていたことを、競技と学業を両立しながら自立して行うことに、慣れるまでは大変でした。その時に恥ずかしながら、初めて親に感謝したことを覚えています。
   一方、競技の面では負けず嫌いの性分ゆえ、無我夢中に先輩の背中を追い走り続けていました。今まで諸先輩方が築いてきた伝統を守り、その上でチームとしてさらなる高みに向けて突き進むには、相当なプレッシャーとの闘いがありました。しかし、そのプレッシャーを力に変え、靑葉監督の下、努力を重ねた結果、大学駅伝初の三冠(出雲、全日本、箱根) を達成。仲間たちと大きな歓びを分かち合うことができました。私が味わったこの歓び を、今の現役学生にも是非とも味合わせたいと思っております。
   もちろん、4年間の中には嬉しいことばかりではなく、厳しいこともたくさんありましたが、多くの方々の支えにより乗り越えることができ、本当に充実した4年間を過ごすことができました。このような陸上を通じた学生生活での経験を、今の学生も同じように将来に役立ててもらえたら本望です。
   現在は、4年間の経験を財産に実業団での現役生活を経て、私を育ててくれた母校と陸上競技部に恩返しをする意味もあり、監督として日々学生を指導・育成させていただいております。ただ、なかなか先輩方が築き上げた伝統を守ることができず、申し訳ない気持ちもありますが、あきらめずにチャレンジし続け、学生とともに5度目の箱根駅伝優勝を目指したいと思います。
   また、この10年間では女子長距離チーム、男女短距離チームも加わり、部員数約130名の大きな陸上競技部となりました。この中から大学日本一だけでなく、さらには世界で活躍できる競技者の育成を目指して、これからも精進して参ります。今後とも、ご指導、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

女子長距離の歩み

陸上競技部 女子長距離監督
外園 隆

   2010年春、女子長距離ブロックは、靑葉昌幸先生のご尽力を賜り、特別強化プロジェクトとして承認され、第一期生4人でスタートしました。しかし、その船出は思い描いた理想とは遠くかけ離れており、特別強化プロジェクトとは言え、すべてを自前で準備しなければならなかったことなど、言葉で言い表すことのできないほど波乱に満ちた厳しい門出でした。
   まず始めは、生活の基盤となる女子寮探しからでした。練習環境や女子寮としての条件を満たす物件を手当たり次第に探しましたが、その思いは通じず、途方に暮れている私を見かねてか、靑葉先生自ら大学に近い一軒家を購入提供して頂きました。ユニフォームに至っては、歴史ある陸上競技部のユニフォームを、実力も知名度もない女子チームが使用していいのか、大変悩んだことを昨日のように覚えています。
   そんな中、靑葉先生から「関東大学女子駅伝に出場しろ!」という思いがけない至上命令がありました。第一期生はわずか4人でしたが、レースに参加するには最低でも6人のランナーが必要でした。「頭を使え」というアドバイスを頂き、悩んだ末に、懸命な勧誘が実り、一般学生から経験者1人とスキ一部から3人の協力を得てようやく参加できました。この大会は23チーム中14 位という結果でしたが、苦労の末に出場し、最終走者がゴールした時の感動は今でも忘れられません。あの大会への参加こそが、後の女子長距離ブロックの礎と成長につながっています。
   あれから6年、女子長距離ブロックの活躍は、日本学生陸上競技対校選手権大会や学生のオリンピックであるユニバーシアード大会をはじめ、国内外の大会においても数々の入賞者を輩出するまでになりました。伝統あるライトグリーンのユニフォームは 今、女子長距離界で伝統に恥じない成長を続けています。
   まだ歴史の浅い女子長距離ブロックではありますが、 オリンピックや世界大会で活躍できる女子長距離選手育成を目標に、世界で戦うために必要な基礎体力や自己管理能力の再構築を図るとと もに、社会人としての知識や視野を広げる教育と地域に愛されるチーム作りを心がけます。
   私自身18歳で“靑葉塾”に入門し、今日まで42年間陸上競技部に携わっていられることに感謝すると共に、来る2020年東京オリンピックで卒業生が活躍することを夢見て日々精進する次第です。

本格的なトラック&フィールドの参入

陸上競技部 短距離コーチ
原田 康弘

   大東文化大学陸上競技部が創部50周年を迎え、心よりお祝い申し上げますと共に、日頃からご支援 ・ご声援をいただいている皆様に感謝しております。
   大東文化大学には2005年にスポーツ・健康科学部が新設されましたが、伝統ある陸上競技部にこの年、短距離、跳躍、投擲などの選手が新たに加わり、トラック&フィールドの総合的な陸上競技部として本格的にスタート致しました。その背景には、総合大学としての陸上競技部のあり方を真意に考え、取り組んでいただいた靑葉先生の力で新生・大東文化大学陸上競技部を創り上げてきたことは言うまでもありません。
   当初、クレーマージャパン陸上競技部の監督として指導していた私に、外園社長を通して、靑葉先生より短距離コーチとして陸上競技部の指導をお願いされ、私としても大学での指導に大変興味があり、チャレンジしてみたい思いもあり、クレーマージャパンの選手と共に合同で指導することになりました。
   スタート当時は陸上界での大学イメージが長距離、駅伝であり、短距離、跳躍などの選手が集まるのかが心配でありましたが、地元・埼玉から、インターハイ三段跳で入賞した西岡選手(深谷商業)、国体選手の岩堀選手(松山高)などの有望選手が入学してくれたことが、本格的なトラック&フィールドでの大東文化大学の幕開けでもありました。男子小林主将、西岡選手、岩堀選手、女子櫻井選手の4人の部員でスタートし、当初は練習場所も大学になく、東松山の岩鼻陸上競技場をメインとして活動していた頃が今は懐かしく感じています。
   その後、年々部員数も増えると共に競技力も確実に向上して行き、2011年には国体少年A400m優勝した伊藤卓選手、2012年にはインターハイ100m、200m 2冠の梨本選手、2014年にはロンドンオリンピック代表の士井杏南選手など、多くの高校トップクラスが入学してくれたことが活力になり、関東インカレ男子2部で2013年、2015年と2 回の総合優勝、2014年と2015年には関東インカレ女子総合3位、トラック優勝という実績を残すことができました。
   スタートして10年で、確実に陸上界での知名度も向上したことは言うまでもありません。創部 50周年という記念すべき年に関東インカレで男子1 部残留、女子総合優勝を目指しています。さらに、我々スタッフは「大東から世界へ」を合言葉に、世界を目指せる選手育成にこれからも取り組んでいきます。そして、今年のリオデジャネイロオリンピック、2020年の東京 オリンピックには大東文化大学陸上競技部から 1人でも多くの代表選手を輩出できることを目標にして頑張っていき たいと思います。
   最後に、大東文化大学陸上競技部が50年の輝かしい実績を糧に、これからも更なる躍進、活躍し続けることを期待してください。

陸上競技部日本一、そして世界へ

陸上競技部 短距離コーチ
佐藤 真太郎

   大東文化大学といえば、日本どこの地域を訪れても、駅伝の強豪校として知られています。この事実は、靑葉先生をはじめと する歴代の監督、指導者の方々、支援者の方々の積み上げられてき た実績が世間に反映さ れたもので、長距離、駅伝50年の歴史はとても重みがあります。
   10年前までは、大東文化大学から短距離選手がオリンピック選手になる、メダルを目指すというのは、夢物語でした。しかし、今、その夢物語は達成すべきターゲットに変わりました。このドラ スティックな変化をもたらしたのは、短距離ブロック創設以来からコーチングされてきた原田先生のご指導と、部活を形作ってきた選手たちの取り組みに他なりません。
   思い返せば、日本インカレチャンピオンと なった辻将也、日本選手権個人初入賞の中島雅達の活躍を契機としてチームは上昇しました。両名は国体代表として、 トップ選手として、関東を中心とする強豪高校の関係者と交流を深めました。この効果により、大東文化は高い水準で結果を追求する大学として陸上界に認知され始めました。
   さらに、国体チャンピオンの伊藤卓、インターハイチャンピオンの梨本真輝、現主将の森雅治が入学し、レベルの高い主力選手同士の競い合いの中から、森の世界ジュニア選手権での活躍へとつながっていきました。世界ジュニア 4 ×100mリレー (4走)で銀メダルを獲得するという 、従来の歴史を超えた森たちの活躍は、日本陸上界に大きな衝撃を与えました。 It always seems impossible until it's done (何事も成功するまでは不可能に思えるものだ/Nelson Rolihlahla Mandela)という言葉がありますが、確かに彼らは日本陸上界の概念を1ステージ前進させました。その実績もあり、2014年春、ロンドンオリンピック代表の土井杏南が入学しま した。彼女は2015年シーズンでは日本インカレチャンピオンとなり、ユニバーシアードでも100m 7位入賞の活躍をみせました。さらに、土井の影響により、昨年はインターハイ100m 2位の佐藤日奈子も入学し、 1年生にして日本インカレ400m 3位の実績を挙げました。女子チームの実力はこの数年で一気に男子10年の実績に並びました。ただ、この急成長の陰には女子コーチを過去2年ずつ務めてきた鬼塚コーチ、友光コーチの献身的かつ効果的なコーチングがあったことを触れておきます。良きチームを作り、多くの支援を行ってくれたOB、OG、学内関係者があってこそ、日本代表レベルのエースも入学し、活躍してくれていることは確実です。
   チームは今、多くの協力者を得てリオ、東京オリンピックを視界に捉えた状態で充実の 2016年のシーズンを迎えようとしていますが、重要なのは、それ以前にもたらされた、何もない更地で日々トレーニングを行い、実績をあげ、伝統を築いてきた長距離監督と選手、多くの大学関係者の取り組みです。 “Rome was not built in a day”は、まさしく本学陸上競技部を表しているといえます。
   今、部活の成り立ちや、自らの立ち位置を日々確認し、50年の伝統を受け継ぎ、我々はこれから も、努力により、不可能を可能にしていかねばなりません。そして、その不可能と思う事象は、決して不可能ではありません。選手たちにはチームと自らの可能性を信じ、強い気持ちを持って日々前進してもらいたいと思っています。見渡せば10年前には比べものにならないほどの支援者と環境が整っています。陸上競 技日本ーに、そして世界へ。学生たちの可能性と夢は無限大に続いています。